年収1000万円でスカウト!職場への恩義と転職の狭間で揺れたミドル

人生一度ぐらい、誰かからヘッドハンティングされてみたいと思いませんか?
カッコイイじゃないですか、スカウトや引き抜きで転職したって言えば、なんかモテそうで。
私自身、これにはメチャメチャ憧れましたし、まだかまだかと待っていたものです。
何の不満もなかったがある日突然スカウトされた
現在67歳で定年退職し、解体工事の監理をしている飯尾と申します。
私が転職をしたのは、41歳の時の事です。
当時妻と高校生の長男、中学生の長女、小学生の2男2女の6人暮らしで、妻は専業主婦でも何とかやりくりして生活していました。
そんな矢先、持ち上がったのが転職でした。
大学卒業してから建築の現場監督をして専ら現場に出て代理人として工程管理・品質管理・安全管理を司っている。
仕事は楽しいし、施主や設計事務所等の監理者との関係、さらに協力業者との関係も良好。
なおかつ会社の同僚たちとも切磋琢磨し合いながらお互いを高めている、そういった恵まれた環境にありました。
待遇面でも現場手当の還元策も手厚く、努力が直に報酬に反映されていました。
ただ、私が心配したのは、100人程度の中小企業で、不景気の時、会社が存続の危機に遭遇しないか?といった懸念。
当時はバブル全盛期で業績も良く、毎年海外へ小遣い付きの社員旅行が実施されていました。
そういった環境にいながら、私は常にこのままでいいのか問題意識を持っていました。
このまま「若い時の現場は良い、年をとってからの現場はきついんじゃないか」と。
というより、そろそろ偉くなって会社で積算したり電話で対応したり事務的な業務に移行しないといけない風潮がありました。
「俺は事務作業するためにここに来たわけじゃない!」そう考えたのが転職に至る動機ですね。
そんな時、親しくしている工務店の社長から「うちに来ないか」と引き抜き工作をされてしまいました。
この種の話は、その気になって乗っかったら大変です。
外交辞令もどきに出てくる合言葉程度にしか聞いていませんでしたが、相手は真剣です。
実は、社長の右腕であった番頭さんが病の為退職してしまい、本当に困っている状況で明日にでも来てほしいほどの懇願でした。
ちょうど、自分自身このままではいけないと新天地を求めていた事もあり、疑いつつも彼の願いに応じる事にしました。
前職の信頼関係や管理職への道を失うのが怖かった
転職活動の不安はありませんでしたね。
熱い願いを受けてからの退職でしたが、転職自体を受け入れるか否かの葛藤はありましたね。
前職においても同僚たちの中で、リーダーシップがあり技術的な部分で劣っていても、人徳で勝っていくと風で社内でも期待されていましたから。
居心地も良く、このまま勤めれば会社の中心的人物になっていけるかもしれない自負も、もちろんありました。
慰留はされるだろうと覚悟していましたし、このまま残っていればそれなりの年収と現場に出なくてもいい立場を獲得する事も現実味を帯びていました。
おそらく、年収1000万円を提示されなければ、転職する事はありませんでしたね。
前職では当初、監督として同僚たちの中でも私は落ちこぼれの方でした。
図面の作成も下手で、工程はいつも遅れ気味だし予算の上がりも良くない。
それでも、指摘をしっかり受け止めて、私は這い上がってきました。
ある程度自信がついてくると、生来の社交性が物を言い存在感をだしのし上がってきました。
いわば、今の自分があるのは会社のおかげです。育てていただいた強い思いもあります。
何の不満もない中での退職に、恩知らずのレッテルを自ら貼りました。
それほど、1000万円は強烈でしたね。
「金で動いた」と思われても良い…事実なんだから。
不安はありましたが、どんな環境にあっても自分なりの道を切り開いていく自信がありましたから。その精神を培ってくれた前職に感謝します。
年収1000万円で引き抜かれたと皆の前でぶっちゃけ
苦労は2通りありました。
円満退社と新規業務の習得です。
理由をはっきり言うしかありませんが、円満退社はまず難しいと考えました。
何も不平不満がある訳ではないので、タイミングは現場が終わり次の現場が始まろうとしており、その現場の担当者として任命を受ける直前。
この時期を逃したら、半年1年は待たなければなりません。
「年収1,000万円を餌に引き抜きを受けました」とプライドを捨ててカミングアウト。
さらに、意志は固い事、一日でも早く就業する事を先方が望んでいる旨を語りました。
ここまで言い切ると、さすがに慰留される事はありませんでしたが、あとから聞いた話がこの転職の成否を物語っている気がしました。
それはこうでした。
私の仕事ぶりは会社の上層部から評価が高く、新規出店する支店の支店長候補に名が挙がっていたとの事。
今回の私の行動で慰留される前に、人間性を見られた感があります。
この話を聞いて私は自問自答しました。
この決断は正しかったのか否か?それは今後の自分の仕事にかかっていると「正しかった」と振り返れるよう頑張ると決意。
新規業務はおなじ建築でも関わり方が違います。
お客さん周りから始まり、1人で顔出しできるようになるまで逢瀬を重ねます。
人と関わる事が好きなタイプでどんどんこの仕事にのめり込んでいきます。
接待も多くなり、金銭感覚が変わっり朝起きれずに昼頃出勤しました。
メチャクチャなように聞こえるでしょうが、これが仕事です。
この業務を受け入れるまで時間がかかりましたが、大事な仕事であり、この結果次第で現場に移行するんですよね。
自分はいつも一番大事な部分を担っていると、自負を持てるようになりました。
現場職でない接待職員として新たな道を切り開いた
転職する時点の目的であった年収1,000万円を勝ち取った事と、現場監督からの解放され事務職ではない裏方につけたこと。
前職でも年収600万円から700万円と満足していましたが、現場手当の歩合的な報酬があり波がありました。
そこへ「年収1,000万円やるからうちに来ないか」って誘惑が来たんです、こんなおいしい誘いに勝てる訳かありませんよね?
当然私の仕事ぶり等を見ての評価で、ありありがたい誘いでした。
在来木造建築専門の会社であり、いわゆる入母屋造り、数寄屋作りを始めとする化粧造りを得意とする宮大工まがいの大工さんのいる工務店さんです。
私はお客さんと打ち合わせをし、着工までのプロセスを接待を経てまとめていく業務を担当。
現場仕事と呼ばれるより、セールスエンジニアです。
大学卒業してからその時まで鉄骨造・鉄筋コンクリート造を担当してきましたが、木造の経験は初めてでした。
「建築の真髄は木造にあり」という信念を持っていましたので、私にとっては願ってもないチャンスでもありました。
それこそ、間取りさえできれば後は熟練の大工さんが納めてくれます。
私は気が付いたら、40歳までに現場監督から脱却して事務所仕事に移行したい目的は叶っていました。
技術者より営業員であり、様々なジャンルのお客様と交流し新しい視野を頂戴したり、人生哲学を学ぶ機会に恵まれました。
かといって接待で好むと好まざるとに関わらず席を設ける試練もあり、人間的にタフに成れましたね。
ただ、建築の技術を追求する本来の目的からは逸脱しているなと思いながら、これもありなんじゃないかなって心境でした。
スカウト転職と職場への恩義の狭間で揺れたミドル
最後に要点を纏めておきますので参考にしてください。
- ある日取引先からスカウトされ転職を決意
- 何の不満もなく信頼関係を失うジレンマに襲われた
- 未知の職種での転職は新しい仕事を覚えられるか心配
- 現場が分かる営業職としてやりがいがある毎日を送っている
来ない来ないと思っていたヘッドハンティングはある日突然やって来るものです。
私の場合、年収の折り合いがつかず断念しましたけど…。
チャンスは掴み取ってみてはいかがですか?人生一度きりです。
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